フランス・ギャル“グレイテスト・ヒッツ”
結構前のことになるけれど、フレンチポップスにはまった時期があった。
きっかけはsomethingというジーンズのCMで流れていたエルザだった。確か、前世紀末辺りの話だ。‘T'en va pas’という曲で、本邦では‘哀しみのアダージョ’という題で売られていた。もしかすると原田知世のカバー作品‘彼と彼女のソネット’で知っている人もいるかもしれない。
この楽曲を辿っていくと、“悲しみのヴァイオリン”という映画に行き着く。劇中でエルザ自身が弾き語るのである。これが彼女のデビューであり、恐らく最大のヒット作となる。その映画で主演をしているのが、ジェーン・バーキンである。ここで、いわゆるフレンチロリータの巨人に行き当たる。
セルジュ・ゲンスブール、その人である。
ひと言でいえば変人、それもどうやら大変にセクシーな変人である。20歳のジェーン・バーキンが一目惚れしたとき、ゲンスブールは40歳でバツ2の立派なオジサンだった。ふたりの蜜月時代の姿は歌に映画にこれでもかというくらい記録されている。
そんなゲンスブールが世に名を馳せたきっかけが、フランス・ギャルの‘Poupée de cire, poupée de son’だった。邦題は‘夢見るシャンソン人形’といって、日本でもかなり話題になったようだ。1965年といえば、日本の芸能市場にいまだアイドルという概念のない時代である。
このいかにもアイドルらしいポップロック風の曲には、けれども、ゲンスブールならではの毒が込められている。訳詞をみても、邦題にあるようなお気楽な内容ではないことがわかる。男も知らずに恋の歌を歌う中身のないお人形…要するにそういう歌なのである。
こうしたゲンスブールのシニカルな姿勢は、有名な‘Les sucettes’を引き合いに出す方が分かりやすい。この曲が有名なのは、曲の良し悪しやセールスの大小とは関係がない。もちろんヒットはしたのだけれど、いまだ語り草になるのは、歌詞に込められた露骨なダブルミーニングの故である。
歌詞はといえば、無邪気にロリポップを舐める女の子という、まったく箸にも棒にもかからないような内容である。この曲が歌われていた頃、もう19になろうというギャル自身、楽曲イメージに合わせて棒付きキャンディーを舐める姿をメディアに散々露出していたようだ。
いかにも健全で愛くるしいルックス、舌足らずな歌唱、無邪気で無意味な歌詞、ポップでキャッチーなメロディ…。アイドルポップスの王道ともいえるこの曲にゲンスブールが込めた皮肉は、フェラチオ好きな女の子という痛烈なものだった。これを悪意と表現するかどうかは受け手の問題だろう。
まあ、気付く人は気付き、卑猥な暗喩とギャルの無邪気さとのコントラストを面白がっていたのだろうし、悪趣味といえば悪趣味な話ではある。けれども、それがゲンスブールの持ち味なのだし、魅力なのである。ただ、後年のギャルはこの時期のことをあまり語りたがらないらしい。
そんな歌い手自身の評価とは無関係に、やっぱりこの時代の楽曲たちは魅力的だと思う。自身の評価が低いのは、ある意味では当然のことだ。何しろ、アイドルとしてのギャルはまさに中身のない人形だった。彼女は楽曲のコンセプトを知って戦略的に無邪気を振舞っていたわけではない。
その辺りは、イマドキのアイドルたちの自覚的なプロモーション意識とは一線を画しているように思う。仕掛けたゲンスブール自身、売るための戦略として性的な味付けをしたわけではないだろう。そこがつんくプロデュースとゲンスブールの決定的な違いである。
もちろん、フランス・ギャルを聴くのに、こんな御託は必要ない。何も考えずに聴いても、可憐でポップな魅力に溢れているし、楽曲もバラエティに富んで面白い。穿った見方をすれば、アイドルという存在の皮肉を際立たせるためにも、楽曲は優れてキャッチーである必要があったともいえる。
いずれ、フレンチロリータの先駆となったのも頷けるクオリティだ。
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posted in 07.04.02 Mon
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